防災ブログ「みのるの備え日記」

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  • 阪神・淡路から現代へ――「72時間の壁」と災害対応の変遷、そして今求められる備え

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    © 2025 Minoru Mori  本作は Creative Commons 表示 4.0 国際ライセンスのもとで提供されます。  https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/

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    72時間の壁はなぜ変わったのか?命を守る知識と防災学の進化

    阪神・淡路から現代へ――「72時間の壁」と災害対応の変遷、そして今求められる備え

     

    はじめに

    1995年、阪神・淡路大震災の被害から生まれた言葉に「72時間の壁」というものがあります。一般に人間が飲まず食わずで生き延びられる限界は約3日間とされ、震災でも発生後3日(72時間)を境に生存率が急低下することが統計で示されたためですrescuenow.co.jp。この「黄金の72時間」は長らく災害対応の鉄則とされ、行政も救助隊も「発災後72時間以内の救命」に全力を注いできました。しかしその一方で、現実の災害では72時間を過ぎても生存者が救出される奇跡や、逆にその前に救助が追いつかない悲劇も起きています。また海外に目を向ければ、米国では「最初の72時間は自力で生き延びよ」という前提で住民の備えを促す方針が取られてきましたja.wikipedia.orgweartv.com。さらに近年、防災の学問は進化し、「レジリエンス」(復元力)や**マルチハザード(複合災害)**への対応など新たな視点が生まれています。こうした考え方の変遷を踏まえると、今あらためて「知識」と「準備」がいかに重要かが見えてきます。

    本記事では、防災士であり危機管理を学ぶ筆者が、阪神・淡路大震災から2020年頃までの災害対応の方針の変化を5つの章で振り返ります。国内外の事例や最新の防災理論を交え、なぜ今、私たち一人ひとりの知識と備えが必要とされているのかを考えてみましょう。最後には家庭で実践できる「マイ・タイムライン」という具体的な備えの手法も紹介します。

     

    第1章 阪神・淡路大震災と「72時間の壁」の成立

    今から30年近く前の1995年1月17日早朝、阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)が発生しました。6,000人以上が犠牲となる大災害でしたが、この震災の救助活動の分析から「発災後72時間以内に救出された被災者の生存率が著しく高い」ことが明らかになりましたrescuenow.co.jp。具体的には、地震当日(発災から24時間以内)に救助された人の生存率は約75%、2日目(48時間以内)は約25%、3日目(72時間以内)には約15%まで低下し、4日目にはわずか5%程度にまで落ち込んだのですrescuenow.co.jp。つまり3日を過ぎると生存率が急激に下がるため、この72時間が人命救助の分岐点と認識されるようになりましたrescuenow.co.jp


    *図:阪神・淡路大震災における救助された被災者の日別生存率(%)。発災当日は約75%の救助者が生存していましたが、**72時間経過後の4日目には5.4%*にまで低下していますrescuenow.co.jp。この統計データが「72時間の壁」の根拠となりました。赤線は各日の生存率を示す。

    阪神・淡路大震災以降、この「黄金の72時間」という考え方は日本の災害対応に深く根付きました。消防・警察・自衛隊など公的機関の救助部隊は発災直後から72時間をめどに総力を挙げて人命救助に当たるよう計画されrescuenow.co.jp災害対策基本法など政府広報でも「災害時の人命救助は72時間を過ぎると生存率が急激に低下する」旨が度々強調されていますja.wikipedia.orgja.wikipedia.org。実際、72時間以内は救助活動を最優先し、ライフライン復旧や物資輸送は後回しにせざるを得ないともされていますrescuenow.co.jp。そのため行政から住民へも「最低3日間は自力でしのげる備蓄を」と呼びかけが行われるようになりましたrescuenow.co.jprescuenow.co.jp。まさに「72時間の壁」は、以後の日本の防災戦略を形作った重要な基準と言えます。

    しかし阪神・淡路の経験が教えたのは、単に時間との戦いだけではありませんでした。もう一つの教訓は「自助・共助の力」です。阪神・淡路では要救助者約35,000人のうち約8割(27,000人)もの人々が家族や近隣者によって救助されたといわれていますbousai.go.jp。例えば震源に近い北淡町では、多くの住民が倒壊家屋に生き埋めになりましたが、地元消防団や住民が夜通し自発的に救出活動を行い、地震発生当日の夕方までに約300人を救出し行方不明者ゼロを達成しましたbousai.go.jp。このように地域の絆による迅速な救助が多数の命を救った事実は、「人命救助の主役は地域住民である」という認識を高めました。震災後、神戸市で「防災福祉コミュニティ」が各地区で結成されたようにbousai.go.jp日頃からの備えや助け合いの仕組み作りが重視されるようになったのです。

    総じて、阪神・淡路大震災は日本の防災に二つの大きな教訓を残しました。一つは「72時間以内に救え」という時間軸の教訓、もう一つは**「隣人と自分自身がまず命を救う」という人の繋がりの教訓**です。これらはその後の日本の災害対応政策の基礎となり、以降の震災対応にも強い影響を与えていきました。

     

    第2章 「72時間の壁」が現実と乖離し始めた震災事例(能登・熊本・東日本)

    「72時間以内に救え」というスローガンは、その後の災害対応でも繰り返し強調されてきました。しかし、度重なる震災の現場では**「72時間の壁」と現実とのギャップ**も次第に浮き彫りになっていきます。ここでは、能登半島地震熊本地震東日本大震災の3つの事例を通して、その乖離を見てみましょう。

    能登半島地震(2023~24年)のケース:奇跡の救出と救助継続

    近年の例として記憶に新しいのが、石川県能登地方を襲った一連の地震です。特に2024年(令和6年)1月1日に発生した地震では、被災から丸5日(約124時間)経過した1月6日に90代の高齢女性が生存したまま救出されるという奇跡が起きましたarrows.peace-winds.org。通常であれば「72時間はとっくに過ぎており、もはや救助は絶望的な時期」arrows.peace-winds.orgとされるタイミングです。実際、この地震では消防や自衛隊など延べ4,000人規模の救助隊が投入されましたが、72時間を超えた時点では現場にも絶望的な空気が漂っていたと言いますarrows.peace-winds.org。そんな中で届いた生存者発見の一報は救援関係者を奮い立たせ、極限状態の中での懸命な救助劇となりました。

    このケースから浮かび上がるのは、「72時間を過ぎても希望を捨ててはならない」という現実です。救出された高齢女性は瓦礫の下で身動きが取れないまま長時間を耐え抜きましたが、救助後は「クラッシュシンドローム」の危険も伴い、医療チームが特殊な処置を施し命を繋いでいますarrows.peace-winds.orgarrows.peace-winds.org。つまり72時間以降も生存者は存在し得るし、救助活動も続けなければならないのです。能登の事例はまさに、「時間切れ」と思われた状況でも人命救助を諦めないことの大切さを示しましたarrows.peace-winds.org

    熊本地震(2016年)のケース:複数地震と救助の難航

    2016年4月に発生した熊本地震も、「72時間の壁」と現実のギャップを象徴する震災でした。この地震では4月14日夜の前震に続いて、28時間後の16日未明に本震(いずれも最大震度7)が発生するという**「2度の大地震が短期間で起こりましたafpbb.com。その結果、救助活動は極めて困難な様相を呈します。14日の地震直後から被災者の救出に当たっていた自衛隊や消防も、16日の本震で新たな被害が発生したことで捜索計画の練り直しを迫られ、多くの地域で72時間以内に全ての安否確認が終わらない**事態となりました。

    特に熊本県阿蘇村では、本震による大規模な土砂崩れで多数の家屋が埋没し、9人の行方不明者が発生しましたafpbb.com。本震発生から3日目の4月18日、「発生から72時間」が迫る中で懸命の捜索が続けられたもののafpbb.com悪天候や度重なる余震、道路寸断などもあり救出は難航。残念ながら不明者の多くは救助が間に合わず亡くなりました。このように複数の大規模災害が連鎖すると、72時間以内という目標自体が破綻しうることを熊本地震は示したのです。

    熊本地震の教訓は、「イムリミットがリセットされない」厳しさと言えるでしょう。通常であれば発災からの経過時間で判断する救助優先度も、相次ぐ大きな地震によって混乱し、被災者の捜索・救助は計画通りに進みませんでした。それでも現場では最後の1人まで捜す努力が続けられ、発生から5日後までに全ての行方不明者を発見・収容しています。この事例から分かるのは、大規模災害では72時間という指標だけでは測れない状況が生じ得ること、そして救助活動の継続体制を柔軟に維持する必要性です。加えて、被災地の住民側も公的支援が遅れる可能性を念頭に、自助努力で乗り切る備えが重要であることを示唆しています。

    東日本大震災(2011年)のケース:広域・複合災害と生存者の存在

    近年最大の被害をもたらした東日本大震災(2011年)は、地震津波原発事故という未曾有の複合災害でした。この災害でも「72時間の壁」が語られましたが、広大な被災範囲インフラ壊滅という状況下では、従来の想定を超える事態が多発しました。例えば津波で孤立した地域では、救助隊が到達するまでに1週間以上かかった所もあります。また被災直後に雪が降る悪条件の中、多くの人々が避難所や瓦礫の中で救助を待ちました。

    そんな絶望的な状況にあって、発生から9日後(約216時間)に奇跡的に救出された生存者もいます。宮城県石巻市では、倒壊した自宅の下で80歳の祖母と16歳の孫が励まし合いながら9日間を生き延び、地震発生10日目に救助されましたreuters.comNHKなどの報道によれば、二人は警察の呼びかけにかすかに応じ発見されたとのことですreuters.com。このニュースは世界中で「Miracle(奇跡)」と報じられ、人々に感動と希望を与えました。一方で、被災地全体を見れば救助活動は発災から10日以上にわたって継続し、多くの遺体捜索が行われています。広域かつ甚大な被害では、公的支援の手が隅々に行き渡るまでに相当の時間を要し、その間に生存者救出の“ゴールデンタイム”は過ぎてしまう現実がありました。

    東日本大震災の経験は、「72時間の壁」を過信してはいけないことを教えています。確かに3日以内の救命率が高いのは事実ですが、それを過ぎても人々は諦めずに生き延びようとし、救助側も決して捜索の手を緩めなかったのです。さらに、巨大災害では救助の手が届くまで自力で持ちこたえる期間が72時間を超えることも十分にあり得ます。実際、東日本大震災以降、政府は大規模災害時に住民が最低1週間程度は自活できる備蓄を推奨するようになりましたrescuenow.co.jprescuenow.co.jp。このように、現実の震災事例は**「72時間経ったら終わり」ではなく「72時間を超えても続く闘い」**であることを示しています。

     

    第3章 アメリカの災害対策方針との対比:72時間への備えと「自助」思想

    日本が「72時間以内の救助活動」に重点を置いて防災計画を発展させてきたのに対し、アメリカでは発想がやや異なっている部分があります。米国の連邦緊急事態管理庁FEMA)などは、大災害発生時に公的支援が被災者に行き届くまで「おおよそ72時間」かかると想定しja.wikipedia.org、その間は各家庭・地域が自力で生き延びることを前提にしています。いわば「最初の72時間は自分たちの責任(72 hours on you)」という考え方で、住民に対し最低3日分の食料・水・医薬品などの備蓄や非常持ち出し袋の準備を強く推奨しているのですweartv.comweartv.com

    例えばFEMAはハリケーン地震に備えるキャンペーンで「72 On You(72時間はあなた次第)」というスローガンを掲げ、非常用キットの内容リストを配布していますweartv.com。そこでは「災害後、救助隊や支援物資が来るまで数日かかる可能性がある。できれば家族が少なくとも3日間は自力で生存できるよう備えよう」と呼びかけていますweartv.com。具体的には1人あたり1日1ガロン(約3.7リットル)の水を3日分、同様に3日分の非 perishable(腐りにくい)食品、缶切り、救急セット、懐中電灯と電池、常用薬などを用意するよう勧めていますweartv.com。これは「もし各家庭が基本的な備えをしていれば、救援側も本当に支援が必要な人への対応に専念できる」という考え方に基づいておりweartv.com自助が共同体全体を助けるとの理念が浸透しています。

    日本でも近年は、この米国型の「まず自分の身は自分で守る」という発想が強調されるようになってきました。自治体や政府は「最低3日分、できれば1週間分の備蓄を」と盛んにPRしていますrescuenow.co.jprescuenow.co.jp。実際、内閣府ガイドラインや多くの地方条例で家庭内備蓄3日分が努力目標として定められていますrescuenow.co.jp。東京都の例では、企業には従業員のため3日分の水・食料等を備蓄する努力義務が課せられ、発災後3日間は従業員を職場待機させる(無理に一斉帰宅させない)ことが求められていますrescuenow.co.jp。この背景には「発災直後の3日間は救命活動を最優先するので、住民はむやみに動かず備えた物資で凌いでほしい」という意図がありますrescuenow.co.jp。つまり、日本でも**「72時間を自力で生き抜く力」**をつけることが、防災上の重要課題となってきたのです。

    また、米国の災害対応で特徴的なのは、コミュニティ単位の自主的な防災活動が制度化されている点です。FEMAは各地でCERT(Community Emergency Response Team)と呼ばれる地域防災チームの訓練プログラムを提供し、市民が自ら応急手当や消火、捜索救助の基礎を学んでおく仕組みを整えています。大災害時にはこれらCERTがまず地域の初期対応にあたり、プロの救助隊到着までの空白を埋めます。日本でもこの考え方は共有されており、もともとあった自主防災組織の活動に加え、近年は各地で住民参加型の防災訓練やワークショップ(DIG=災害イマジネーションゲーム等)が活発化しています。「共助」の力を平時から鍛えておくことで、公助の手が及ぶまでの72時間を支える狙いです。

    さらに、災害対応の指揮・統制面でも米国の方法論が取り入れられています。米国では消防・警察など複数機関が合同で活動する際、**ICS(インシデント・コマンド・システム)**という統一指揮体制を用いることで有名ですが、東日本大震災以降、日本でもICS導入の研究や訓練が行われています。これにより組織間の連携を円滑にし、限られた72時間を有効に使うことが期待されています。

    このように、日本と米国の災害対応を比べると、「72時間以内に救う」こと自体は共通の目標ですが、その実現のためのアプローチの違いが見えてきます。日本はまず公的機関が総力で救助に当たる体制整備に力を注ぎましたが、近年は米国流の住民側の自助力向上にも舵を切り始めました。その背景には、第2章で述べたような現実の大災害で公助だけでは限界があるという認識があります。結果として現在では、「自助・共助・公助のバランス」をどう高めるかが共通の課題となり、日本でも「自助7:共助2:公助1」という割合(災害時の救助は自助が7割、共助2割、公助1割)を意識する専門家もいます。

    72時間を生き抜くには何が必要か?――それは「救助隊の迅速な展開」だけではなく、「住民一人ひとりの備え」と「地域の助け合い」です。日本とアメリカ双方の経験から、私たちはその答えを学びつつあります。

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